ミック・ファレンとのコラボレーションも継続している。95年にファレン/ジャック・ランカスターがリリースした "The Deathray Tapes" に参加。また、1984年にロンドンのディングウォールズで行われたザ・デヴィアンツ再結成ギグの模様を録音した"Human Garbage"(96年)さらに翌97年にリリースされたザ・デヴィアンツの "Eating Jello With A Heated Fork" にも参加している。
1996年11月にはデトロイト・ロックを代表する2人のギタリスト、元ラジオ・バードマン(結成はオーストラリア)のデニツ・テックと元ラショナルズ(他多数)のスコット・モ−ガンと共に "Dodge Main" をリリース。個人的にとても好きな1枚。当初ウェインとデニツ2人で制作する予定だったが、偶然レコーディングをしていたロサンジェルス市内にスコットが滞在していることを知り、3人で録音することとなった。モーガンがかつてソニックス・ランデブー・バンドで亡きフレッド・スミスとプレイしていた彼の遺作、City Slang が収録されていて泣ける。Dodge Main とは、昔デトロイト市内にあった工場の名前で、車両や戦車を生産していた重工業都市デトロイトを代表する工場

4作目のライブ盤、LLMF を最後にウェインはエピタフを離れ、2001年、自らのレーベル、Muscle Tone Records を設立した。3月、レーベル発足第1弾として15トラックのオムニバス盤"Beyond Cyberpunk" をリリース。このアルバムは、MP3配信会社である MusicBlitz との共同プロジェクトとして制作され、当初同じ内容を同社の配信サイトからフリー・ダウンロ−ドできるようになっていた。CDの方にはウェイン自身が書いたライナー・ノーツの中にコードが記載されていて、それを同サイトで入力すると、CDに収録されている15曲以外のトラックをさらにダウンロードできるようになっていた。2001年8月、MusicBlitz のサイトがクローズとなり、MP3のダウンロードはできなくなったのが惜しまれる。クレイマー流のパンク観に基づき、チマタに溢れるパンク・オムニバス集とは全く異なる視点で集められたバンドの数々。

Beyond Cyberpunk と並行して進められたプロジェクトが、ダムドの創立メンバーであるギタリスト、ブライアン・ジェイムスとウェインが発足させたバンド、"Mad For The Racket" だった。2人でスタジオに入って曲を作っていけるか、という実験的試みから始まり、ベースに元ガンズ・エンド・ロ−ゼズのダフ・マッケイガン、ドラムには元ポリスのスチュア−ト・コ−プランド、元ブロンディのクレム・バ−ク、さらにウェインやミック・ファレンによるレコーディング、ギグ、ツアーに数多く参加してきたデトロイト出身のドラマー、ブロック・エブリの3名が参加し、アルバム "The Racketeers" を録音、2000年11月、ブライアン・ジェイムスのマネージャー、イアン・グラントがイギリスで復興した名門レーベル、トラック・レコードからイギリスとヨーロッパでリリースされた。超豪華ラインアップがプレスに大きな反響を呼び、アメリカでは2001年10月にジャケットを変えた米国盤(右)が発売となった。日本では輸入盤が売られている。
そして2002年7月、「シティズン・ウェイン」から5年を経て、ついにソロ・アルバム「アダルト・ワールド」がリリースされた。50代半ばに差し掛かったウェイン・クレイマーの、ユーモラスでシニカルでペーソスに溢れた大人の世界。このリリースを受け、アメリカ、ヨーロッパと精力的にプロモーション・ツアーを行っている。(2002年のアメリカ・ツアー・レポートはこちら)日本にも輸入盤が入っているので、是非聴いて頂きたい。
また、プロデューサー及びセッション・ミュージシャンとしての活動も活発で、ロックのみならずジャズ、ファンク、詩の朗読やスポークン・ワードのアルバム等々、多種多様な音楽活動に参加している。若いバンドの育成にも熱心で、特にロサンジェルスのパンク・バンド、Streetwalking Cheetahs を「MC5直系」として評価しており、彼らのために数々のプロデュースを手掛けている。
また、かつての導師、ジョン・シンクレアとの交流も復活しており、シンクレアのバンドとのセッションや、数枚のアルバムに参加している。さらに、2000年初頭にニューオリンズにあるシンクレアの自宅が火災のため焼失した際には、家屋新築資金を募るために2月27日、ロサンジェルスのスペースランドにおいてチャリティ−・コンサ−トを企画・開催、ストリート・ウォーキング・チーターズをバックに従えてMC5時代の曲の数々をフル・セットで演奏した。

音楽活動のみならず、ウェイン・クレイマーはドラッグとアルコ−ルの問題を抱えるミュージシャンに支援の手を差し伸べる運動に積極的に参加し、この問題を論じるパネル・ディスカッションやインタビューに頻繁に出席している。それはウェインが自分自身に課しているミッションである。一方で彼はアメリカ政府のドラッグ政策の失敗を一貫して糾弾してきた。そして薬物政策の失策に対する彼の長年の強い思いが2014年、1枚のアルバムとなって結実した。

Adult Worldから12年を経て2014年に発表されたウェイン・クレイマーの新作 はLexington

レキシントン とはケンタッキー州の都市の名で、1935年、ここに 麻薬中毒患者を収監する広大な施設、United States Narcotic Farm (連邦薬物中毒更生農場)が建設された。ウェイン・クレイマーが約2年間服役した場所である。この施設は開設後何回も名称と目的を変え、ウェインが拘留されていた当時は連邦拘置所として薬物中毒を有する犯罪者が収監されていた。現在では「レキシントン連邦メディカルセンター」という名で運営されている。薬物中毒に関する人体実験が行なわれていた施設であり、アメリカ政府の誤った薬物政策の総本山である。チェット・ベイカー、エルビン・ジョーンズ、ソニー・ロリンズなど、麻薬中毒を抱えた数多くのジャズの巨匠たちが刑期を務めた場所でもあり、このアルバムは彼らに捧げるオマージュでもある。2008年、The Narcotic Farmという本が出版され、同書に基づいた同名のドキュメンタリー映画がリリースされた。そのナレーションと音楽を担当したのがウェインである。依頼を受けた当初から、レキシントンに投獄された全てのジャズの巨星に捧げるジャズ・ベースの音楽にしようと決めていたという。こうして創作されたサウンドをさらに押し進めてアルバムに再構築した Lexington は、正真正銘「ジャズ」のアルバムとなった。PledgeMusic を通じて資金援助を募り、このアルバムを携えてのツアー費用も捻出された。かつて彼がいかにエレクトラやアトランティックなどレコード会社に翻弄され搾取され、人生を擦り減らしたかを考えると、隔世の感がある。PledgeMusic 上で彼自身がそのシステムのすばらしさを語っている。このCDを初めて聴いた時、しみじみと「ああ、ウェインは本当に長い長い間、こういう音楽を発表したかったのだろうなあ」と感じた。彼がライフ・ワークとして叫び続ける主張の集大成と言える珠玉の8トラックを、ぜひ聴いて欲しいと思う。

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