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クレイマー・レポート#10である。100クラブでのイベント開催の経緯が説明され、さらにリーバイス社とのタイアップに対する批判にクレイマーが真っ向から立ち向かった記述が興味深い。マスコミに対するMC5時代からのうっぷんが一気に吹き出した感じである。ロック・グループでありながら、そのメンバーがこういうステートメントを書かねばならないMC5というバンドの特異性をつくづく感じさせられるレポートである。コマーシャリズムとアートの関係に関し、これを読む人はどう考えるのだろう。クレイマーの言葉にそれなりの重みはあるけれど、失望する人もいるかもしれない。

*** NEW 5/4/03 ***

ウェインのメッセージボードでの議論が下火になりかけた4月30日、今回の事件の発端とも言えるTシャツのアートをデザインしたゲイリー・グリムショウから短い投稿があった。MC5時代、バンドと苦楽を共にしたポスター・アーティストの言葉には今回の論争に終止符を打つ重みがあった。翻訳転載の許可を求めたところ、直ちに快諾の返答があった。対訳を掲載する。

クレイマー・レポート No. 10 (2003年3月)

ファンと批評家への公開状
ジャスティン・ティンバーブレイク MC5Tシャツを着用
(で、MC5はそれが気に入った)

俺たちは集まり、プレイし、そして勝った。

なんてすばらしい1週間だったんだろう。MC5関係のニュースをあまり知らない人のために説明すると、俺は本当にすばらしいイベントの仕事で10日間をロンドンで過ごしてきたんだ。

事の起こりはこうだ:数ヶ月前俺たちは、リーバイス社がMC5のイメージを使用して、少量生産のヴィンテージ・スタイルのシャツのライセンス契約を結んだことを知った。リ−バイスとこの契約を取り交わしたのは俺達の旧友、ゲイリー・グリムショウで、彼は、知っての通り昔MC5のグラフィック・イメージのほとんどをデザインしたアーティストだ。MC5のトレードマークがバンド・メンバーの許可なく使用されたわけで、トラブルが発生しそうな雲行きになった。音楽業界ではこういう場合の解決策としては「脅しとケンカ」ってのが常道なんだが、俺達はレモンからレモネードを作ろうじゃないか、ということになった。つまり、正直なところ俺たち全員リ−バイスのジーンズが好きだったし、それでこの企業について少しばかり調査したんだ。結果は満足のいく内容だったし、リ−バイス社の態度も前向きだった。で、ゲイリー・グリムショウのアートとMC5の音楽を賞賛する場となるようなライブ・ショウをやって、バンドのメッセージをより多くの、この時代の人たちに聴いてもらう機会にしようじゃないか、ということで合意した。MC5の音楽と、今日の音楽ファンとを結びつけたいというのが俺達の最大の目的だった。

数え切れないくらいのブレイン・スト−ミングを繰り返し、無数の国際電話とEメイルを交換するうちに、計画は具体性を帯びてきた。ショウはロンドンの小さな歴史あるクラブ、100クラブで行なう。あるインデペンデント・ラジオ局を通じてフリー・チケットが配付される。ゲストはヨーロッパ各国のリ−バイス・ショップでジーンズを売っている人たち、このショウを歴史的イベントと位置付けるジャーナリスト、バンドの友人、そして文字通り通りがかりに入ってくる人たちとする。それから俺達はこのイベントの一部始終を映像で記録し録音したかった。だから、最近満員のクラブで起きたあの悲惨な事故をくり返さないためにも、収容人数を少なく抑えたかったんだ。

昔バンドのみんなで創造した音楽を、デニス、マイクといっしょに再び演奏するのはかなり困難なことに思われたが、とにかく強い熱意をもって臨んだ。バンドが解散してから長い年月が経過しているし、その間いろいろなことがあったけれど、俺達がまたいっしょにプレイする機会がついに訪れたんだ。

フレッド・スミスとロブ・タイナーの死は、この音楽を再び演奏しようとする俺の気持ちの上に重くのしかかっていた。2人の思い出に傷をつけず、しかもその遺族に敬意を欠くことなくこのショウを実現するにはどうしたらいいだろう?答えはすぐに得られた。これはMC5の再結成ではない。MC5出演と宣伝されてはならない。実際それは事実に反する。MC5は唯一無二の存在であり、このバンドを再現することは不可能だからだ。だからこのショウで俺達が行なうのは、MC5の音楽とロックに与えたその影響を賞賛することだ。このバンドが生んだ歌と精神を再現することであり、バンドの遺産に忠実であろうとするなら、遥か昔にとり残された地点から、その音楽を一歩前に推し進めるべきじゃないかということになった。これを完璧に実行するためには助けが必要なことは明らかだった。それでチャールズ・ムーア教授に電話したんだ。

チャールズは「ハイ・タイム」でホーンのアレンジをした人物で、1968年前後のグランディ・ボールルームの時代には俺たちと頻繁に共演していた。俺たちはデトロイトでムーア教授や他のアヴァン・ジャズ・ミュージシャン達と数多くのライブを行なったんだ。だから今回、チャールズをトランペットに、そして同じデトロイト出身のラルフ・「バジー」・ジョーンズをサックスに迎えることができれば、サウンドにさらに深みが増すと考えたわけだ。キーとなる2人だ。それが2人とも喜んで参加を表明してくれた。こいつは凄いことになるぞと俺は期待に胸躍った。

次に考えなければならないのはボーカルを誰にするかという問題だった。確かに俺は今のバンドで歌っているが、今回のボーカルを務める人間はもっとずっと卓越したシンガーでなければならない。あれこれ協議を重ね、マイケルやデニスとも話し合った結果、ゲストとして歌ってくれるボーカリストのリストが完成した。このリスト作りは俺にとって貴重な体験になった。世界中のミュージシャンに電話し、さまざまな顔ぶれのボーカリストのスケジュールを何とか調整しようと(業界のコンベンション「サウス・バイ・サウスウェスト」やロックの殿堂入りの行事が大きな障害となったのは言うまでもない)最後の最後まで四苦八苦し、スケジューリングの仕事がこんなにも大変なものだと初めて知り、このテの仕事を毎日のようにしている人間に対し、生まれて初めて尊敬の念を抱いた次第だ。

出演を打診したアーティスト全員が、MC5に対して最大の賛辞と敬意を表明し、今後コラボレートする機会があれば是非声をかけて欲しいと言ってくれたことを報告しておきたい。計画は少しずつ具体化していき、ロンドンに到着してリハーサルを始める頃になると俺たちは大きな興奮を感じ出した。その頃までにダムドのデイブ・ヴァニアン、ヘラコプターズのニッケ・ロエィル、モーターヘッドのレミーの参加が決まっていた。俺たちは直ちに仕事にとりかかった。

2003年の今、昔のMC5の歌を練習し直すのは斬新な体験だった。30年前最後にこれらの曲を演奏して以来、俺は実に多くの音楽を手がけてきたわけだが、全く新鮮な気持ちでリハーサルに臨むことができたんだ。まるで他人の音楽を練習してるみたいだが何となく懐かしい。これらの歌の多くは俺の作だが、何だか夢みたいだった。いくつかの歌を練習してる時には、自分達が昔、何てクリエイティブでイカレたガキだったんだろうって感動したね。古い写真を整理していて、自分が若い頃はけっこうハンサムだったんだなとあらためて感心するようなものだ。

リハーサルはイベントのプロモーションと平行して行われた。昼間はスタジオで過ごし、夜になるとヨーロッパ各国のプレスと接触した。ツアー中のアーティストにはあたりまえのことだが、こなしたインタビューの数と熱意から察して今回のライブに対する関心がもの凄く高いことが感じられた。イギリスの記者の中にはこのショウが実現するに至った経緯に興味を持ち、リーバイスとMC5の関係を取りざたしてスキャンダラスな記事を書こうとする人間がいた。特にガーディアン紙から派遣された無作法なレポーターは健闘したが、書き上げた記事はありきたりなものに終わった。数十年ぶりに俺たち3人が揃って臨むインタビューを一番最初に行えるという利点を十分利用もできずに、彼が書いたのは「MC5はカネのために仕事をした」式の退屈な記事だった。相も変わらずだ。

スキャンダルと言えば、俺はこのところずっとメッセージボードの議論を読んで、みんなの意見交換を興味深く見ているんだが、いろんな推測や誤った憶測が飛び交ってるようなので、この場を借りてはっきりさせておこうと思う。

アーティストというのは昔から、然るべき人々に作品を送り届け鑑賞してもらうためにありとあらゆる方法を用いてきた。ミュージシャンを世界レベルで動かしてレコーディングさせ、プロモーションをかけ、作品を配給し、その他関連するアクティビティー全て、莫大なカネがかかる。過去においてはレコード会社がこういう経費の大部分を負担したが今は違う。現在音楽を取り巻く経済状況では、ミュージシャンはそれ以外の新しい資金源を捜さなければならないんだ。MTVやクリア・チャネルといったメガ・ヒット系メディアに載れないというのであれば、自分のオーディエンスに到達するために何か他の道を見つけなければならない。俺たちが現在行っているように、インターネットもそのひとつだ。

それから、自分の世界観と調和した形で生き残っていく道も捜さなくちゃいけない。反体制を歌ってみても家賃を払えなけりゃ何の意味もない。MC5には、山中深く潜み、町を急襲するゲリラでいて欲しい、なんて願う勿体ぶったヤツやファンは、視点がかなりズレていると思う。俺たちはちゃんとした身なりをしてるし、テントで生活してるわけじゃないぜ。みんなと同じように普通の家やアパートに住んでるんだ。みんなと同じように払わなけりゃならん請求書だってある。俺は数百万ドルってカネを持ってると思われてるらしい。悪い気はしないが全くの大笑いだ。大金を手にしたらすぐ知らせるぜ。

構図はこうだ。つまり、もし俺たちが自らを革命家ってことにして、くだらない内容の歌だけじゃなく何か主義主張を盛り込んだ音楽をやろうとしたとする、そして家賃を払う方法を見つけたとする、すると批評家連中は俺たちを攻撃するんだ。こいつはどうにもならないことで、何も行動を起こさないことへの反発として何かをやろうとする時支払わなければならない代価みたいなものだとあきらめている。MC5に対するこのテの安っぽい批評は、もう35年も続いてるんだ。今メッセージボードで俺たちを攻撃してる人間は、60年代にブラック・パンサー党や、民主社会学生同盟や、ウェザーメン党や、過激派アップ・アゲインスト・ザ・ウォール・マザー・ファッカーズといっしょになって俺たちを非難した連中だろう。奴らは俺たちみたいな軟弱な集団を徹底的に攻撃した。極左は俺たちを革命に加わるに十分な革命的思想を持っていないと言い、極右は俺たちの電話を盗聴し家族を脅かしたんだ。

仮に俺が「変革」を自ら実践し、今日の社会あるいは俺自身の世界観の中で間違っていると考えることに反旗をひるがえし、自分がありたいと願っている人間でいたとする。すると批評家連中はいっせいに、俺が十分に虐げられていない、抑圧されていないと言って俺をつるし上げるんだ。評論家やファンは倒錯的欲望を押し付けようとしている。それは昔、俺が連邦刑務所に入っていた時に特に強く表れたんだが、あの時イギリスの音楽ジャーナリズムは、俺が投獄されているというそのことで俺を崇敬したのさ。おそらく奴らは、俺が一生ムショ暮らしで、栄光ある伝説的化石に終わった方が嬉しかったんだろう。例によって、俺たちが決めたことを前向きに掘り下げる記事を書くのではなく、奴らは俺たちがワルに見えるように書いたんだ。いつもそれだった。そうに決まっていたし、安っぽいやり方で、何か政治的イデオロギーや理論に基づいているわけではなく、単なる怠慢だった。労せずして紙面を埋めようとする行為で、ジャーナリストに与えられた権利の一つでもあるわけだが、まるで俺たちには一般人と別の常識があてはめられているみたいだった。世の中の不正を暴くなら、いい家に住んじゃいけないというわけか?

明確に区別すべきことがある。

成功を追い求めて何が悪い?それが最優先にならなければ。

カネを求めて何が悪い?それが最優先にならなければ。

仲間を尊重して何が悪い?そいつらの意見が最優先にならなければ。

衣食足りるということを懸念に優先させて何が悪い?カネが人間に優先するからマズイことが起きるんだ。それはつまり個人が優先するか企業が優先するかという問題で、俺個人にとっても、バンドや会社にとっても同じ事が言える。企業自体はもともと悪ではない。いや、確かに悪質な企業もある。利潤のために水源や大気を汚す企業は悪と言える。今日の世界では、軍隊と産業が複雑に絡み合っていることが諸悪の根源だ。

みんな企業のために働いている。レコード会社って何だと思う?これを読んでる奴が大好きなアーティストは全員 -- エピックと契約してるレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンから、ソニーと契約してるブルース・スプリングスティーン、ヴァージンと契約してるイギー・ポップに至るまで -- みんな国際的メジャー・レコード会社お抱えアーティストなんだぜ。アルテミスのアーティストだからってスティーブ・アールを非難するか?エピタフと契約してるからってインターナショナル・ノイズ・コンスピラシーを攻撃するか?こういうレコード会社は全て「企業」なんだぜ。かく言う俺だって会社を持ってる。マッスル・トーン・レコーズって会社だ。

このシステムから外れて生きることはできない。それを認めようとしないのは全くの現実回避だ。カネに手を触れたその瞬間から、誰もがこのシステムの一部になってしまう。MC5だって最初からこういうスタンスに沿った認識を持っていた。テン・ポイント・プログラムに書いてある「ありとあらゆる必要な手段を使って」というのはどういう意味だと思う?オマワリを狙撃することだとでも?違うね。俺達にとって社会システムとは常に、自分たちの音楽を聴いてくれる人々に到達するための方法だった。システムと共存できると常に信じていた。体制と社会を揶揄した歌、「アメリカン・ルース」を書いた時、俺達はアトランティック・レコードと契約してたんだぜ!変化の効果は内側から表われる。ジャスティン・ティンバーブレイクがMC5のシャツを着てヴァイブ誌の表紙を飾った時、俺達が腹を抱えて笑い転げなかったとでも?何だってあんなことが起こったんだ?知ったこっちゃないが、とにかく長かったぜ、ここまで来るには。社会に食い込むのに35年かかったのさ。で、どうだ、今ジャスティンがMC5を宣伝してるのさ、表紙から俺達をじっと見つめながらな。奴はおそらくどっかで「ミック・ファイブ」の噂を耳にしたんだろう、憶測だがね。

もしアーティストが自分の音楽を他の製品やサービスと関連して使って欲しくないと考えるなら、それはそのアーティストの勝手だ。自分の作品なんだから。自分にとって最良の決定を下すのは本人だ。が、だからといって、彼等のレコードが製品とは言えないとか、彼等が契約に基づいた行動を取っていないというわけじゃないんだ。アーティストには、一般の人全てと同じように、自分の仕事から生計を立てる権利があるんだ。

革命ハンドブックのどこに、ウェイン・クレイマ−は飢え死にすべしと書いてある?

俺はイヤになるくらい頻繁に質問されるんだよ。イギ−・ポップが発展途上国で若年労働者を雇用しているナイキ社にストゥ−ジズの音楽を使わせたり、自分のオリジナル曲を、実の親子で訴訟を起こすような億万長者ファミリーの会社、ロイヤル・カリビアン・クル−ズ・ライン社の宣伝に使用させているのは、もっと非難されて然るべきだと思いませんか?ってな。俺は全く全然構わないね。今もニューヨーク・タイムズで読んだところさ、「60年代の良心」の化身、ボブ・ディランその人が、女性下着メーカー、ビクトリア・シ−クレット社の宣伝に1曲提供したってな。彼も他のアーティストも、自分の作品を自分の好きなように利用していいんだ。そうするのか、カネが必要ないのか、俺の知った事ではない。全てのアーティストに祝福を。

ここが肝心なポイントだ。MC5も他のいかなるアーティストも、自分が選択したビジネス契約を結ぶ権利を持っている。だから俺達はしたいようにする。俺達の作品、俺達の人生、俺達が分かち合う音楽なんだ。

それからもう一つはっきりさせておきたい事がある。俺はリ−バイスのために働いたんじゃない。俺の会社、マッスル・トーン・レコーズが、このイベントを開催するためにリ−バイスとパ−トナ−シップを組んだんだ。このイベントで撮影され録音されたものの所有権は俺達の側にある。それから念のために言っておくが、リ−バイスから支払われるギャラの金額交渉にさえ俺は関わっていない。もし今回のショウから俺がカネを得るとしたら、それは楽曲を音楽的に指導し、プロデュースし、演奏したからに他ならない。このショウに出演した全てのアーティストが利益を分かち合うんだ。しかしそれも利益が出たらの話だぜ。このゲームに絶対はないんだよ、諸君。こんなことをいちいち書くのはそれ自体全く馬鹿げたことだと思うが、事実を明確にするためには仕方がない。

先に書いたが、俺はリ−バイス社に関して少しばかり調査をした。この企業が150年の歴史を持つ同族会社だと知り、1800年代末、アメリカ南部で人種差別があたりまえだった時代に、自社で働く黒人労働者の権利のために闘ったことを知った。賃金に男女差別はなく、海外で若年労働者を雇用してもいない。リ−バイス・ヴィンテージ・ブランドの服は全てアメリカで生産されている。きちんとしたいい会社だし、彼等に関して俺は何の不満もない。実際、今回のようなプロジェクトを実行することにした彼等の嗜好とビジョンを俺は大したものだと感心している。MC5ってのは普通、企業がイメージ宣伝に進んで使うようなバンドじゃないだろう。彼等はずっとMC5を支持してきたファンの長年の夢をかなえてくれたんだ。もしこれがダウ・ケミカルとか、地球環境を悪化させた企業だったら断っただろう。しかしリ−バイスはいい製品だし、俺はずっとリ−バイス・ジーンズを愛用してきたんだ。これを読んでる君たちはどこのジーンズを履いてる?

ロンドンのショウの話に戻るが、ゲスト出演者のリストは最後まで増え続けた。ロンドンで活躍する21歳のソウル・シンガー、ケイト・オブライエンを加えることができたんだ。俺はロブ・タイナーが書いた、この上なく美しいバラード、「レット・ミー・トライ」を女性に歌って欲しいと思っていたから、ケイトの参加は完璧だった。そして最後の最後に、イアン・アストビューリーから電話があり、ロンドンにいるから参加していいかと訊ねられた。

ショウの模様はカメラ4台を使って撮影され、レコーディングもされた。それを今俺はプロ・ツールでミキシング作業を行なっているところだ。期待通りの出来ならCDをリリースし、テレビ放映して、DVDも制作されるだろう。

ライブは物凄く楽しかったし、みんなすばらしいプレイをした。デニスとマイクとまた演奏できたのは本当に嬉しかった。マイケルはリッチ・ホプキンスと世界中をツアーして回っていたが、最近独立してソロでやっている。彼とデニスはあるインタビューで、近いうちに2人で何かレコーディングする予定だと話していた。デニスのドラムは相変わらず凄いパワーだった。ケイト、デイブ、レミ−、そして俺の親友ニッケ、みんなすばらしいボーカルを披露した。ニッケのギターはフレッド・スミスの芸術へ捧げるトリビュ−トそのものだったし、イアン・アストビュ−リ−が歌ったキック・アウト・ザ・ジャムズのスピードとエネルギーは超音速旅客機みたいだった。

喜びに溢れたファンの表情を見て俺は本当に胸が躍った。1曲1曲、1語1語、俺達と声を合わせて歌ってくれた奴ら。俺はセットの間中まるで身体が宙を浮いてるみたいに感じた。それから「ブラック・トゥ・コム」を演奏した時もものすごく興奮した。チャールズとバジーはこの世ならぬブラス・サウンドをエレキ・ギターの金属的悲鳴の上に完璧に呼応させ、俺達は文字通り、星から星へと宇宙空間を共にトリップしたんだ。ところどころボーカルにケイトまでもが加わった。古い歌を新しい手法でプレイし、新しい音楽をさらにコンテンポラリーな方法で演奏したんだ。昔書いた曲があの瞬間新しく蘇った。すばらしかった。

CDとDVDの件は順次情報を提供していく。メッセージボードへの書き込みには感謝している。自分が好きなアーティストとその音楽に対するみんなの情熱の強さに、俺は感嘆している。俺がみんなのアイデアとサポート(そして批判)を感謝して受け止めていることを知って欲しい。俺達のことを考えてくれてありがとう。

みんなに神の祝福を。
ウェイン