CDを1枚、宣伝させて頂く。

どうして宣伝かと言えば、歌詞及び作者本人が書いたライナー・ノーツの翻訳を私が入れたからである。

MC5と直接の関係は、ない。だからここで、ケシカランあるいはナンダツマラナイ、と退出してしまわれても文句は言えない。

ただしこのCDの作者は、ウェイン・クレイマーとは関係があった人だ。ウェイン・クレイマーのページで紹介されているザ・デヴィアンツのライブ・アルバム、Human Garbage でギターを弾いていたラリー・ウォリスである。

1970年、ミック・ファレンらが主催したファン・シティー・フェスティバルで、ウォリスはMC5のサウンドを初めてライブで聴き、ステージを見上げながらLSD で回る頭で啓示を受けたという -「俺がギターを使って達成したいこと全てが、あそこにある。」

ウォリスがその長いキャリアの中で初めてリリースしたソロ・アルバムが本作 Death in the Guitarfternoon (デス・イン・ザ・ギター・アフタヌーン)である。(上がそのジャケット)イギリスでは昨年リリースされ、日本では MSI の配給により、12月16日に国内盤が発売される。ミック・ファレンが2曲に歌詞を提供している。当サイトにリンクさせて頂いた白谷潔弘氏が解説を寄せている。ウォリスのキャリアに関しては同氏のホームページに詳しい。

ウォリスの卓越したソング・ライティングによる珠玉の11トラックだが、彼はそもそもギタリストだ。高音域を揺らぐギター・ソロの美しさは絶品で、ギターをたしなむ人であれば誰しも直ちにプラグ・インしてこれらのメロディーを弾いてみたくなるんじゃないか。しみじみとソウルに沁みるギターのメロディーに、女である私はこのギタリストに対し、ほとんど恋愛感情に近い気持ちを抱いた。さらに当アルバムは、そのジャケットや西部劇の題名のようなアルバム・タイトルからもわかるように、アメリカ的なるものに対するウォリスの憧れそのままに「ウェスタン」がモチーフになっていて、西部劇のテーマソング風なトラックで「ベーン」というギター・サウンドの合間に入る「ズッキューン」とか、また他の曲でも時々入るギターの「ザシャザシャ!」というノイズがもうめちゃくちゃカッコいい。

さらに歌詞のすばらしさも特筆に値する。踏韻の巧みさは見事と言う他なく、ミック・ファレンはかつてウォリスのギターを「LSDをキメたハンク・マービン」と称したけれど、歌詞の点で言えば、その言葉遊びと韻は「LSDをキメたチャック・ベリー」である。ただしウォリスの詩の世界はキワどくアブなくセクシーで、しかも風雅でユーモラス。こういう歌詞は近年のロックにおいては死滅して久しい。日本語の構造とのギャップもあって、そのすばらしさを十分に訳し込めなかった自分の未熟さがもどかしい。

ウォリスが在籍したピンク・フェアリーズは、ファレンのバンド、ザ・デヴィアンツの一味であり、この人たちは60〜70年代のロンドンで浴びるほどのクスリとアルコールに漬かりながら壮絶な生活を営んでいた。クスリと名がつけば家畜用のトランキライザーでも飲んでいた人たちである。そしてサクランボの種で窒息死したり、スープ皿に顔を突っ込んでそのまま溺死したりしていたのだ。ウォリスも80年代から90年代中頃までドラッグとアルコールで完全に壊れていた時期があった。しかしある時「第2の人生か死か」という選択を医師から突き付けられ、鉄の意志で復活を遂げ、自宅にスタジオを構築し直して録音したのがこの「デス・イン・ザ・ギター・アフタヌーン」だったのだ。現在のウォリス氏はドラッグはおろか、酒もタバコもいっさいやらないクリーンな人である。しばらく前にロンドンで面会したが、くたびれたフェンダーのTシャツの肩に革ジャンを引っ掛け、丸いサングラスに帽子をかぶり、黒いジーンズの足元はウェスタン・ブーツといういでたちの長身のウォリスは、白髪頭に多少オーバーウェイト気味とは言え、恰幅のいいホレボレするようなカッコよさで、ロンドンの街角に立ってもやっぱりがぜん目立っていたのだった。

MC5ジャパンを訪れて下さるロック・ファンの方達にこのすばらしいアルバムを聴いて欲しいと思う。2002年12月16日発売です。是非聴いてみて下さい。

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