クレイマー・レポート No.5 (2002年2月)

前回のレポートからずいぶん時間が経過してしまったが、今このサイト全体をアップグレイドしている最中ということもあって更新が遅れている。今回のレポートは去年の暮れに書いたものなので、その後多少修正を加えてアップデイトした。新しいニュースがあれば随時報告していく。

というわけで、以下が最新版だ。

今年ももう終わろうとしている。まったく何て年だったんだ。政治も文化も、個人的にも、あらゆることが変化した。今まで見慣れていた風景が永久に変わっちまったんだ。

物事が変化するのは時に辛い面もあるが、生きてく上では当たり前のことだ。それに、変化が訪れることで新しい扉が開かれ、今まで想像もつかなかったすばらしい事が始まる場合だってある。しかもそれはいろいろな形でやって来るものなんだ。

レコード・レーベルを立ち上げるってことは、この向こう見ずな筆者にとって全く新鮮な体験だ。かれこれ30年もさまざまなレベルで音楽ビジネスに携わった挙句、俺はビジネスを真剣に勉強するために、文字通り、そして比喩的にも、「学校」に通わなくちゃならんとわかった。てわけで、「スモール・ビジネス・アドミニストレーション」っていうビジネス・クラスに通学して、事業を立ち上げる基本的な原理を勉強してるんだ。これが凄い。目からウロコの連続さ。

例えば俺は今までどういう理由で人が物を買うのか、ロクに考えたこともなかった。せいぜい値段で決まるくらいに思っていた。ところが違うんだ。もしそれが真実なら、今頃俺たち全員、ファースト・フード、タコ・ベルのタコスを食いながら、格安中古車のユーゴに乗ってるはずなんだ。とにかく、マッスル・トーン・レコーズがレコード会社として本格的に始動を開始し、2002年に向けて快調なスタートを切ったのはいいニュースさ。

2002年3月末、俺のソロ・アルバム「ハード・スタッフ」がリイシューされる。オリジナル版には収録されなかったボーナス・トラックを3曲入れた。オリジナルのスタジオ・マスター・テープをプロ・ツールに落としてよく聴いてみたんだ。1994年当時のセッションで自分たちが鳴らしていた音を詳細に調べるってのは、ものすごく楽しい作業だった。その3曲のボーナス・トラックというのは、"God's Worst Nightmare"のオリジナル・バージョン、"Till The Police Come"、そして"Going To The Wasteland"だ。

パッケージ・デザインも変えた。新しいライナーをつけて、マッキー・オズボーンのオリジナル・パッケージ・アートといっしょにスナップ写真もつけた。しかも最近はビデオ画像も入れられるから、レック・コワルスキーが監督した2本のプロモ・ビデオ、"Junkie Romance" と "Crack In The Universe" も収録した。特に"Junkie. . ." の方は重いテーマを扱ってるから作風もハードでかなり生々しい場面がある。それで、むろんMTVはすっかり怖気づいて、当時このクリップを流さなかったのさ。

クリスマス直前にロキシーで、「インターナショナル・ノイズ・コンスピラシー・(I)NC」 と「ハイブス」ってバンドと、すばらしい時間を過ごすことができた。(I)NC は政治的活動にも携わっているバンドで、音楽と社会の変化の関係ってものをとてもよく理解している。凄くエネルギッシュなステージ、そしてオーディエンスを見下すということがない。バーはたちまち活気づいた。精神を高揚させるような音楽、そしてパンクのスラム・ダンスみたいな陳腐な行為を一刀両断に斬る。ボーカルのデニス・レキシゼンは爽快に盛り上がったロサンジェルスの客に言い放った。「(スラム・ダンスなんか)ダンスじゃない。仲間を殴って傷つけ合って楽しいか?ダンスってのは、拳じゃなくてヒップでするもんだろ?」なかなかいいことを言う。感心して聞いていた。

ハイブスこそ、ヨーロッパで一番デカいバンドになるかもしれない。最新アルバムはあっちで20万枚売れたって話だ。だからわからんだろ、大西洋のこっち側でもちょっとした騒ぎになるかもしれない。リード・シンガーのペレは、圧倒的な自信と喜びにあふれた様子でステージに登場した。ああいう態度のミュージシャンを見たのは久しぶりだった。つまり、「ステージを制覇してやる」、そういう気概で出て来るバンドは見ていて本当に気持ちがいいってことだ。正しく行われた時に音楽がもたらすことが可能な、純粋な歓喜と解放。奴らのセットはそれを体現する祭典だった。楽しい、ってことは全然悪いことじゃないんだ。

ひとつのトレンドが形成されようとしているのを感じる。今述べた2つのバンドもその動きの一部なんだが、ポピュラー・ミュージック史における新しい一章となるかもしれない世界的なムーブメントだ。ヨーロッパでは今12歳のティーン達が、コーンやビズキットみたいなアタマの悪いパッケージ化された音楽じゃなく、スピリットとオリジナリティーを持ったバンドを必死で探している。テクノでもラップでもない。一過性じゃない音楽。ホワイト・ストライプスや、活動停止が惜しまれるアット・ザ・ドライブ・インみたいな音楽だ。

同じ新しいエネルギーは、ここロサンジェルスでも爆発しようとしている。同じ新しい光が、今「ベルレイズ」と「マザー・スペリアー」という2つのバンドから放射されている。演奏、歌詞、歌唱力、ステージ・パフォーマンス、どれを取ってもこの二つのバンドは、現在地球上に存在する如何なるバンドより優れていると思う。誇大宣伝は常に行われているし、メニューだといかにも旨そうな料理が食ってみるとヒドいなんてことがしょっちゅうなのは承知してる。だから俺としては、とにかくこのことを伝え、あとは奴らが自分らでそれを実証するのに任せるってことだ。俺がここでごちゃごちゃ書くよりずっとパワフルに雄弁に、事実を証明してくれるだろう。

今書いてきたようなバンドは全て、非常にエキサイティングな未来が到来しつつあることを示していると思う。音楽の世界ってのは、時々思い出したように前進するものなんだ。今までは創作的観点から谷間に入っていた、それが今こそ変革する時なんだ。あの偉大なシンガー、サム・クックが言ったように、「今こそが変化の時」ってわけだ。

新年を迎えるのを楽しみにしている。2002年にはエキサイティングな計画やプロジェクトが幾つもあり、その中には6月にユアーズ・トゥルーリーから出すソロ・アルバムや、MC5のドキュメンタリー・フィルム「トゥルー・テスティモニアル」の劇場公開も含まれる。この映画、部分的に見せてもらったが、正真正銘、物凄い作品だ。これまでに行われた試験的上映では、ほとんどエクスタシーに近い反響を得てきた。製作スタッフには心からねぎらいの言葉を送りたい。長く辛い道程だったと思う。5年以上も前にこのプロジェクトを始めて以来、監督のデビッド・トーマスとプロデューサーのローレル・レグラーは全くの奉仕の精神でこの映画に取り組んできた。このフィルム製作のために彼らはほとんど一文無しになり、その結果何が得られるかと言えば、世界がついに、MC5の物語を考えられ得る限り最良の方法で見られる日がやって来るってことだ。

このドキュメンタリーを見ながら、物凄く興奮すると同時に少なからず不思議の感に打たれた。あそこに映し出されたMC5の日々から余りにも長い年月を経てしまったために、当時の自分やバンドの映像を見ても、スクリーンに映っている自分と今の自分が同一人物だとは思えないんだ。誰か他の人間の物語を見てるみたいなんだ。だがこの心理をさらに深く探究してみると、実際、今の俺は当時の俺とは事実上別人だということに気がつく。あり得ないことに思われるかもしれないが。

俺は確かにMC5のウェイン・クレイマーだが、ファイブ時代の俺はずっとずっと昔の俺だ。あれは俺の人生の過程で起こったひとつの出来事、そして終わったことなんだ。この事実を認めるには長い時間がかかった。あれは終わった事で二度と起こらないという事実。が結局のところ、それでよかったんだと思う。歴史に残る偉大なバンドの一員だったことを誇りに思うけれど、それは昔の話で、俺は今を生きているんだ。

だから、さっきの変化の話に戻るが、変化こそ俺が常に求めているものだ。物事が崩壊して新しい秩序へと組み換えられる。中心は常に不安定、安定していたためしはないし、これからもそうだろう。変化があるからこそ俺はやっていける。古臭い概念は俺にとって致命的な罠、俺の心を閉ざす悪しき力を持っているからだ。俺はいったん心が閉ざされると、自分が絶対的真理を知っているような気になったり、自身の人生の大家みたいに思い始める、そして. . . マズいことがいろいろ始まるって寸法だ。だからそういうことを考えると、今の俺が18歳、38歳、48歳の俺とは違うっていうのはいいことなんだ。

2002年を迎えるにあたって感謝すべきことはたくさんある。親友の1人が新年を真っ白な紙にたとえた。一点の汚れもない純白の紙。過去の痕跡もなく、未知未踏の可能性向かって広げられた一枚の美しい紙だと。

新しい年が楽しみだ。

ウェイン
カリフォルニア州ロサンジェルス