ツアー先のベルファストで北アイルランド問題の本質に触れ、衝撃を受けたウェイン・クレイマーの考察である。「アナキー・イン・ザ・UK」で「 IRAなんか怖くねェ」と歌われたのは30年以上前のこと。日本人にとって北アイルランド紛争など昔ヨーロッパの片隅を騒がせていた政治事件としてほとんど忘れられた問題だろう。が、訳していて思い出したのはしばらく前にイギリス人の友人から聞いた話。彼は仲間といっしょにあるイギリス人ミュージシャンとそのアメリカ人ガールフレンドを連れてロンドンの「アイリッシュ・パブ」に入った。するとそのガールフレンドがその場で北アイルランド過激派批判を始めたのだという。友人とその仲間は・・・怖くなり2人をそこに残してトイレの窓から逃げたそうだ。北アイルランド問題はそのくらい、イギリス人とアイルランド人にとっては暴力と殺戮を意味する未だ解決されない深刻な政治問題なのである。


クレイマー・レポート No. 30(2007年1月27日)

DKT/MC5で行なった冬のヨーロッパ・ツアーは楽しかった。ライブはいい出来だったし、オーディエンスは熱狂的だった。こんなに長い年月が経過した後でもまだMC5の音楽が人を集めるということに、俺はいまだに驚いている。実際MC5の人気は今がこれまでで一番高い。多分ここ10年くらい根気よくツアーやその他の活動を続けてきたからだろう。

ツアーってのはその性質上、俺にとってものすごく疲れる仕事だ。ツアーは若い奴らのゲームであって、ゲストのミュージシャンを除き俺たちみんなもうそれほど若くない。まだ「年寄り」じゃないが「若い」ってわけでもない。だから「中高年」って言うのかな。

ストーンズだろうがパール・ジャムだろうが、ツアーですることは同じだ。次の会場に移動し、熱意をこめて音楽を奏で、不規則な睡眠を取り、食い、その他生きるための全ての基本的活動を維持し、そういうこと全部を移動しながら行なう。若い奴らがこういうライフ・スタイルに憧れるのは理解できる。エキサイティングな予感がするし、実際、20代、30代、40代に入ってさえ俺もそう感じていた。だが今はツアーに出て数週間も経つと自分のベッドやロサンジェルスでの日常生活が恋しくなってくる。スーパー・スターならツアー中でももう少し快適に過ごせるのかもしれないが、それだってしなくちゃならないことは俺と同じだろう。

昔、生活のために真冬のブルックリンでアスファルトの屋根葺き仕事をしたことがある。その辛さに比べたらツアーなんかモノの数じゃないが、公園を散歩するようなわけにはいかない。こんなことを書くとグチを言ってるように聞こえるかな?そうじゃない。嘆くほどのことは何もない。というわけで今回のレポートを書くことになった。

世界中旅すると、すごくためになる。単に招かれて音楽を演奏する以上の利点がある。知らない人間に会い、彼らがこの地球でどんな風に生活しているかを知るのはとても大切なことだ。そして最近行なったこのツアーは俺にとってこれまでになく意義深い旅になった。

アイルランド・ツアーのメイン・プロモーターは友達のデビッド・ホルムズだった。ベルファストでは彼と彼の仲間がライブのセットアップを行ない、すばらしい仕事をしてくれた。今回のヨーロッパ・ツアー最後の出演で、久しぶりにプレイしがいがあるオーディエンスが集まった。ライブを行なう相手としてはこれまでで最高だったかもしれない。つまり相手は懐疑的な客で、腕組みして立ち、「さあ、見せてみろ」って態度で俺たちを見てた。俺はああいう客が大好きなんだ。「見せて」やれるからさ。俺たちの仕事はオーディエンスをもてなすことで、ああいう夜は本当にやりがいがある。で、彼らは熱狂し、歓声を上げ、踊り狂って最高に盛り上がった。すばらしいライブだった。

デビッドの友人であるポール・ブラウンにベルファストを観て回りたいか訊かれたので、そうしたいと答えた。景色のいい場所や歴史建造物を見に行くのかなと思った。城や港、田園地帯なんかだ。全くの勘違いだったと後で思い知らされた。最初はバンド・メンバーのほとんどが行きたいと言っていたんだが、当日集まったのは俺とマーク・アームだけだった。

ホテルの前で車に乗り込んだ。みぞれ混じりの寒くて灰色の日だった。ツアー・ガイドの男は自己紹介するとすぐに「物見遊山の観光ツアーではなく、北アイルランドの『問題』がどういうものかを見てもらうことの方が重要だと信じている」と告げた。彼は自分がリパブリカン(注:カソリック系過激派)だと名乗り、北アイルランド紛争において「H-ブロック」の俗称で知られるメイズ刑務所に投獄されていたと明かした。感じが悪い男ではなかったが深刻な表情で、俺とマークはすぐにこれがアイルランドの伝説めぐりや美しい古い屋敷の見学ツアーじゃなさそうだと悟った。

続く3時間、その男は止まることなくしゃべり続け、ベルファスト中の友人・同志の自宅と市街で行なわれた多くの殺戮や暴行についてたて続けに語った。警察、ロイヤリスト(注:プロテスタント系過激派)、リパブリカンの35年以上に及ぶ関係の中でめぐらされた策略と陰謀、錯綜と裏切りを異常なまでの細部にわたって話した。

俺たちはフォールズ・ロード、シャンキル・ロードとその周辺など、ベルファストの全てを回った。俺はその街のあまりの小ささにショックを受けた。こんな狭いエリアで、あれほどの大規模な暴力をいかにして行使できたのか?彼がイギリス軍の監視塔を指差した。あるものは高層住宅の屋上に、あるものは市街地の向こうに広がる丘の上に設置されていた。イギリス軍は付近の住民1人1人の行き来を見張るために超高感度監視システムを使用している。むろんそんな風に見張られることを喜ぶ者はいないから、住民には更なるストレスが加わる。警察署はおかしな建物だった。アメリカで見る重警備の壁をめぐらせた重罪犯刑務所みたいなんだ。トップにレーザー有刺鉄線とネットを張りめぐらした分厚い壁で周囲をぐるりと囲まれている。「駐在所に投げ込まれるロケット弾を防ぐためだ」とガイドは言った。シンフェイン党施設の前を通り過ぎる時、党首ゲリー・アダムスを白昼のベルファスト路上で襲った暗殺未遂事件のことを教えられた。彼は生き延びた。

北アイルランドの「問題」はすでに新聞の第一面からは消えているかもしれない。しかし平和が回復しつつあるとは感じられなかった。IRAの非武装化は達成されていない。他の人間もそうだ。誰も武器を捨ててはいない。ロイヤリストもリパブリカンも、むろん警察も軍隊も。目下の交渉の焦点は治安維持だ。数十年に及ぶ流血の復讐劇から離れた立場の警察の在り方が議論されている。警察は自らを被害者と考え、内部の問題として自分たちだけで解決しようとしている。さまざまな流派対立があるとは言え、皆共通して警察を憎んでいて、イギリス軍に対する憎悪はそれ以上だ。

10メートルもの高さの「平和の壁」が数ブロックにわたって近隣を分断し、厳重な警備の検問所まで延びていた。イスラエル人がヨルダン川西岸に建設している分離壁みたいだった。ガイドによると、その辺りの子供の中には壁の向こう側を一度も見たことがない子もいるという。そういう子供たちは壁の反対側には何もないことを知らずに石を投げる。向こう側にはからっぽの街路と空き地しかないのに。ある地点では、住宅の塀に添って屋根から塀の下まで金網が張られていた。「火炎瓶が屋根の上に落ちるのを防ぐためだ。ああしておけば網の上を転がって下で爆発するからたいした損害にはならない。」

そういうものが延々と続く。至る所で隣同志が争っている。ある時点で俺は突然気づいた。住宅も、車も、通りでサッカーをしている子供たちも、大人たちも、みんな同じに見える。彼らの間の何が違うのか、俺には全くわからなかった。彼らの確執は目に見えない。

至る所で数え切れないほどの壁画を見た。全てその地区出身の若い男女の殉死を追悼する壁画だ。死者の名が壁に刻まれている。最近焼失したと思われる家屋の焼け跡には密告者を意味するアイルランドの俗語 "taut" の文字が殴り書きされていた。周囲のあちこちに無数に作られた「殉教者の庭」で、ローカル紙の記者と束の間話をした。

過去の政治的暴力が、現在ではストリート・ギャング抗争に他ならないものに変質しつつあるという恐ろしい事実が明かされた。今日では縄張りと、そして常にカネになるドラッグ取引をめぐって争っているのだという。どこでも同じだ。カソリック対プロテスタントが黒人ギャングのブラッズ対クリップスになり、ジャマイカ・ギャング対コロンビア・カルテルになる。セクトがからむ暴力には共通点がある。スンニ派対シーア派、ハマド対PLO、メキシカン・マフィア対メキシカン・カルテルのラ・ファミリア、あるいは刑務所ギャングのアーリアン・ブラザーフッド対ブラック・ゲリラ・アーミー。結局は権力と利益が目的だ。

俺たちの闘士/ガイドは、最近カナダに入国しようとした際にカナダ当局がいかにそれを阻止しようとしたかを語った。「俺も刑務所を出て30年になるが」俺は言った --- 俺もカナダで同じ目にあったよ、と。

我々は刑務所内のハンガー・ストライキで死亡したボビー・サンズの墓を訪れた。暴力によって殺された人たちの墓が何列も何列も連なっている。そのほとんどが10代から20代前半の若者たちだ。多くの墓標に70年代のヘアスタイルと当時のファッションに身を包んだ彼らの小さな写真がはめ込まれている。

俺は胸が張り裂けそうになった。

もし、学校において子供たちに自分たちは実際には何ら違いはないという教育が行なわれていたら、もしカソリックとプロテスタント間の結婚を禁止しなかったら、「問題」は1つのジェネレーションで終わっていたのではないかと感じた。「カソリックの子供」や「プロテスタントの子供」がいるわけじゃない。カソリックの親とプロテスタントの親がいるだけだ。両親や祖父母の闘争と血の確執の歴史を幼児が理解するはずがない。どうしてことさらそれを押し付ける?親が「ロイヤリスト」や「リパブリカン」でも子供は子供だ。

ベルファストでも再開発ブームだ。今ではショッピング・モールができ、クラブも繁盛している。みんなサッカーが大好きだ。(だがそれさえも政治的背景を持っている。)今時の生活に当たり前の施設は全部そろっている。だが、全てを支配しているのは暴力の文化だ。

このベルファストのツアーを感謝している。俺は多くを学ぶことができた。

ウェイン・クレイマー
2007年1月 北アイルランド ベルファストにて

Back to top / クレイマー・レポート・リストに戻る