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ザ・セス・マンによるレビュー
(2002年9月 ジュリアン・コープのホームページ「ヘッド・ヘリテッジ」に掲載)
A review written by The Seth Man
Posted on Head Heritage (September 16, 2002)
Reprinted by permission of the author

証言する覚悟はできてるかって?
覚悟はいいかって?

あたりまえだろ。
何年も前からとっくに準備はできてるぜ!

フューチャー・ナウの連中にしても同じことだろう。デトロイト出身のロック・バンド、MC5のビジュアル・ドキュメンタリーを彼らはとうとう完成させた。4年間に及ぶハード・ワークと予算不足を克服し、この映画がついに陽の目を見る時が来たんだ。だから、このもの凄いドキュメンタリーの制作を思いつき、撮影・編集し、公開にこぎつけた奴らに敬礼だ---監督デビッド・トーマス、プロデューサーのローレル・レグラー、エグゼキュティブ・プロデューサーのハワード・トンプソンとジム・ローム、そして他の製作スタッフ全員に特大の感謝を捧げるよ。僕ら世界中のロック・マニアックが、ほんと、ブッ飛ぶような、2時間の高速激烈ロックンロール・スペクタクルをありがとう!

それからこの場を借りて、ドリアンとジュリアンのコープ夫妻に心からの感謝と高く掲げたメタル・フィストを捧げたい。このヘッド・へリティッジ・ウェブサイトを代表してこの映画を観て来るようにって、僕を彼等の代理で行かせてくれたんだ。その寛大な配慮に大感謝。ロック!

ありとあらゆる点で「MC5*実証」は強烈でエキサイティングで感動的だ。だが、作品自体とMC5について、これからいろいろと脱線してしまう前にはっきりさせておきたいんだが、このドキュメンタリーはロック・ヒストリーの貴重な授業であると同時に、人間とそいつらの人生とそいつらが生きていた世界が、7年という時間の流れの中でさまざまな出来事が起きるうちに、いかに永久に変貌してしまったか、それを映し出した映画なんだ。映画の最初の方でシグリッド・ドバートとベッキー・タイナーがインタビューに答えるのを聞いていてこのことに気付いた。彼女たちが自分の体験を語るのを聞くうちに、僕は突然、MC5のこのストーリーがとてつもなくダイナミックに悲劇的で、およそ感情ってものを持ってる奴なら誰しも胸が張り裂けるような内容になるって悟ったんだ。というのも、かつてMC5というロック・バンドでプレイしていたロブ・タイナー、フレッド・ソニック・スミス、ウェイン・クレイマー、マイケル・デイビス、デニス・トンプソンって男たちを、この映画は人間としてありのままに現代に引き戻したからなんだ。彼らは共に過ごした時間の大部分、およそヒト科ヒトに起こり得るありとあらゆるトラブルの渦巻きの中にいた:離婚、薬物中毒、アルコール、家族の死、FBIの監視、レコード会社からのプレッシャー、プロモーターには追放され、オマワリには虐待され、同志革命家に襲撃され、逮捕、剥奪、攻撃、脅迫。絶対これで全部じゃない。で、ここにリスアップしたトラブルの半分でも、過去・現在・未来に存在するロック・バンドの大部分を完全にブッつぶすに十分なんだ。

MC5はたった7年間のうちに、こういう困難とバンドとしての進化を全て体験した。かいつまんで言えば:アメリカの都市郊外に結成された無数のガレージ・バンドのひとつとして出発しブリティッシュ・インヴェイジョンに刺激されるというお決まりのコース、やがてフィード・バックとファズ・トーンに興味を抱き、ドラッグとアヴァンギャルド・ジャズとフリークアウトにのめり込んだかと思うとロックンロールのルーツに先祖帰りするが、その伝統を実験的サウンドへと拡大すると共にバンドは1972年末までにはウィリー・アレクサンダー時代のベルヴェット・アンダーグラウンド状態になり、やがて2人のギタリストだけがMC2としてイギリス人のリズム・セクションと一緒にスカンジナビアでチャック・ベリーのカバーを演奏して一巻のオワリってわけだ。そう、奴らはこういうこと全てを体験した。

現在は閉鎖されているデトロイトのグランディ・ボールルームの内部を巡る映像で映画は始まる。1966年から72年の間にMC5がこの場所で数え切れないほどギグを行っていたことを思うと、その荒廃した有様は本当に不気味だ。その後場面は全てが始まった場所、デトロイト郊外のリンカーン・パークに入れ替わり本編が始まる。ウェイン・クレイマー、デニス・トンプソン、マイケル・デイビスのインタビューは全て最近撮影されたもので、映画が始まった途端に僕が感じたのは、この作品のアプローチがいかに「正しい」か、ということだった。物語の展開の見事さと言ったらない。それは実際のストーリー自体が劇的だったからというだけでなく(それはまさしくそうなんだけれど)、制作者が完璧主義であり、MC5に対する彼らの愛情が全編を通じて感じられ、撮影対象への敬意ゆえに徹底的に調査しようという姿勢が反映されているからなんだ。ロック・バンドのドキュメンタリーってヤツを何本も観たことあるだろ?バンドの誰かが逮捕されるか、ドラッグとかのヤバいものにハマっちゃった時にお決まりの4文字コトバを交えながらクライマックスに達する例のオーバーで陳腐なナレーションに、デキのいい時のライブ映像が10秒くらいかぶさったかと思うと、いきなりコマーシャルに切り替わったりするヤツ。この映画は違う。MC5のヒストリーそのものが悲劇だから。「実証」ってタイトルが示す通り、これは実在の人間たちのハートとソウルが語る、時として話すのが辛くても語られる、ありのままの証言なんだ。デニス・トンプソンはまっすぐカメラを見据えて言う。「1週間のうちきっちり5日間、俺はMC5の夢を見るぜ。」シグリッド・ドバートとベッキー・タイナーが1967年のデトロイト暴動(「暴動」か?僕には「戦争」に見えたぞ。)を回想して言う。窓の外に目を向けると戦車が迫って来て、その砲塔がぴたりと自分たちが住んでいるトランス・ラブの建物に向けられるのを見たと。信じられるか?こいつら当時ハタチそこそこだったんだぜ?それでこれを経験したって?で奴らはギブ・アップしたか?全然。さらにタフになったんだ。

楽しみがあった時期もある。1968年夏、バンドがヘビーでサイケデリックなサウンドでブレイクした頃だ。クレイマーのアタマはアシッドで回ってて、スパンコールに包まれる幻覚を見たと。マイケル・デイビスのコメントは大笑いだった。「オレたち、四六時中ほとんど発狂してたね。」MC5はグランディで3回、クリームの前座を務めた。「キック・アウト・ザ・ジャムズ・マザー・ファッカー!」というフレーズをMC5が最初にお見舞いしたのもこのバンドだ。おそらく、クリームがまた延々1時間半にも及ぶ妙技の披露に突入しようとしていたのを阻止するためだったんだろう。それから1968年秋中旬、エレクトラと契約した直後、アルバム「キック・アウト・ザ・ジャムズ」のレコーディング時にグランディ・ボールルームで撮影されたシーン。ただただ信じ難い映像で、この時期のMC5が持っていた凄まじいパワーをよく伝えている。獰猛なファック・ロックだ。ブラザー・J.C.クロフォードがマイクの前に進み出て、あのお馴染みの声でバンドを紹介し、ウェイン・クレイマーのボーカルでランブリング・ローズに突入する。この映像は明らかに、ジョン・シンクレアとレニ・シンクレアが「キック・アウト・ザ・ジャムズ」の例の驚異的プロモ・クリップを撮影した同じフィルムを使用したもので、エネルギーと閃光が速回しで霞むダイナミックで煽動的なロックンロールの炸裂だ。うずくまり、回転し、のたうち回り、激しく震える恐れを知らぬ奴ら -- MC5こそがおよそこの世に存在するバンドの中で最も肉体的だったってことを証明する映像。かつてロブ・タイナーが書いた「永遠なる夜の雷鳴」そのものだ。

1968年、シカゴのリンカーン・パークで開催された民主党大会の野外コンサート・ライブ映像にはいくつか特筆すべき点がある。まず、このライブが行われた場所は、僕らがこの映画を観ていた映画館から3キロと離れていない地点だったってことだ。それからリンカーン・パークっていうのも、MC5の出身地であるデトロイト郊外の町と同じ地名、そして最後に、この映像を撮影したのがFBI の調査チームだったってことだ!壮絶なライブ。デニス・トンプソンが(例によって)上半身裸で豹柄のズボンを穿いてるのを見た時は、これぞプロト・グラム!って感じ、MC5が持っていたビジュアル・インパクト(変化し続けたけれど常にクールだった)を今一度思い起こさせた。 FBI 保管のMC5ファイルに入っていた映像が、ジョン・シンクレアのインタビューとオーバーラップして映し出される。ホワイト・パンサー党とMC5が関わっていた政治活動について、シンクレアは僕がそれまで聞いたこともないほど低い声で語った。それから当時のエレクトラのA&R、ダニー・フィールズが登場した。彼のコメントはウィットにあふれ洗練されて、しかもその声ときたらほとんどオカマっぽいような凄いハスキー・ボイスなんだ。いっそのことインタビュー全部を高音の裏声で歌っちゃえばよかったのに。だって誰あろうこのフィールズこそ、MC5とストゥージズとニコをエレクトラと契約させ、その直感でデヴィッド・ピールとロゥアー・イーストサイドをスカウトしてきて会社を困惑させ、挙句このバンドに "Have A Marijuana" をヒットさせて会社をもっと驚愕させた張本人なんだから。

さらにフューチャー・ナウのMC5フィルム調査隊は、驚くなかれ「聖杯」を見つけたんだ。かの有名な海賊ラジオ局、ラジオ・キャロラインの創始者、ローナン・オライリーが最先端のテレビ・カメラ数台を駆使して撮影させたファン・シティー・フェスティバルを納めたリールだ。彼はこれをロンドン上空を旋回する飛行機数機から放映し、史上初の「海賊テレビ局」を開設するつもりだったんだぜ!残念ながらそれらの映像は今回公開されなかったが、フューチャー・ナウは8ミリで撮影された映像を確保した。それがスクリーンに現われた時、僕は文字通り息を飲んだ。このフェスティバルで撮られたMC5のステージ写真を僕は数え切れないくらいたくさん見ていたし、音質はよくないがブートのCDでそのサウンドを聴いてさえいた。けれど、実際にそのライブを「見る」のは完全に頭がブッ飛ぶ経験だった!でも、繰り返しになるけれど、他のライブ映像も全部驚異的なんだ。1967年にデトロイトのローカルテレビ局WTVSテレビで収録されたブラック・トゥ・コム、ミシガン・フリーウェイ沿いで行われた野外コンサート、その他数え切れないくらいの凄いライブ映像に、僕は映画館中走り回りたいくらいだった。1972年のウェンブリー・ロックンロール・フェスティバルには大笑いした。アルバム「ハイ・タイム」内ジャケでソニック・スミスがシルバーのスペース・スーツを着てるのは知ってるだろう?奴はなんとあれをウェンブリーのステージで着てたんだ。しかもクレイマーは顔を金色に塗りつぶしてた。驚くべきはそれだけじゃない、テディー・ボーイがほとんどを占めてた観客はファイブのスタイルが徹底的に気に食わなかった。で、ビール缶をアメアラレとお見舞いしたわけだ。昔も今も変わらないよな?

けれど映画の最後の部分でウェイン・クレイマーが、「プリーズ・キル・ミー」の最後の数ページに書かれてたのと同じことを語るのを聞いた時、僕は泣けてきちまった。奴らに起こったことでおよそ最悪だったのは、互いを失ったことだって、ウェインはそう言ったんだ。僕はその時1人で映画を観てたし、周りに知ってる奴もいなかったから、泣いちゃったんだよ。けど幸いなことに、映画は陽気に終わってくれる。例のデパート、ハドソンズの老朽化した建物が爆破され倒壊するシーンに、デニス・トンプソンがカメラに向かってライフルを構えるショットが重なるんだ。結局のところ、MC5との関わりを抜きにしてあの保守的なデパートのことを覚えてるヤツなんているか?そう、最終的は明るく終わるんだよ。だってこの映画は、そもそもこんなにも人に喜びを与える映画の制作を思い付かせてくれたバンドを賛美した作品なんだから。僕が思うに、制作者の意図は精神を高揚させることにあったんだと思う。MC5はただのロック・バンドに過ぎないけれど、彼等の音楽だけとってみてもそれ以上のものを意味した。そしてメンバー自身はさらにそれ以上の、はるかにそれを凌駕した存在なんだ。

だから、この映画の配給が決まるまでの経費をまかなえるように(そして最終的にはDVDを製作して、映画に入り切れなかった映像を盛り込めるように)http://futurenowfilms.com にアクセスしてフューチャー・ナウの見上げた奴らから何かグッズを買ってくれよ。奴らには援助を受ける資格があるし、このプロジェクトには未だに大きなコストがかかってるんだ。だから絵葉書セットを買って友達に送るとか、ガールフレンドにTシャツをプレゼントするとか、冷蔵庫にKOTJ-MFのステッカーを貼るとかしてくれよ。それが意義のあることだって思うだろ?フューチャー・ナウの連中をサポートする十分な理由があるんだ。それはすべきことを成し遂げたからってだけじゃなく、今これを読んでるアンタや僕や、今後「MC5ってどんなバンドだったんだろう?」って疑問を少しでも抱く未来の全ての人間のために、奴らがこの信じ難い物語をビジュアルな形で提供してくれたからなんだよ。MC5に興味を持つ人間はこれから増えていく気がする。そしていったんMC5のストーリーを知ったなら、絶対忘れないだろう。僕は忘れない。

キック・アウト・ザ・ジャムズ、マザー・ファッカー!

ザ・セス・マン

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